* 단편모음집임
* 나는 일단 옮길 생각없고 다른 라붕이가 시간나면 옮겨본다고 하는듯
* 그러니 번역기 돌려서 대충봐라
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一昨日からはじめたタマネギの植え替えがようやく終わって一息ついているところへ、聞き慣れたエンジン音が響いてきた。
褐色の頬を流れ落ちる汗をぬぐって。見上げたプレスターヨアンナは怪訝な顔をする。
よく晴れた空をこちらへ降下してくるのはいつも見るエクスプレス76の大型コンテナだが、もう一つ、見慣れない長方形のコンテナが並んで降りてくる。
「なるほど、ここがヨアンナ島か。牧歌的でいい所だな」
コンテナの上からひらりと降り立ったのは、艶やかな栗色の長髪をなびかせ、長大な対物ライフルを軽々とかかえた長身のバイオロイドだった。
「ロイヤル・アーセナル卿! どうしてここに?」
「やあ、直接にははじめまして、プレスターヨアンナ。今日は荷物がずいぶん多いと聞いてな、手伝いだ」
コンコン、と背後に着陸したフローティング・アーモリーを手の甲で叩いてみせるアーセナル。「こいつを空にしてきた。あまり繊細にはできていないが、運べる重量はちょっとしたものだぞ」
「いや、それはそうだろうが」ヨアンナは隣でコンテナの展開をはじめているエクスプレスを見やる。「生活物資の運搬など、キャノニアの隊長にさせる仕事ではなかろうに」
「私もそう言ったんだけど……」
「実を言えば、外に出る仕事なら何でもよかったんだ。ここのところ書類仕事と会議ばかり続いて、退屈でな」
カラカラとアーセナルが笑う。つられてヨアンナも笑った。
「なるほど、そういうことならゆっくりしていってくれ。オルカでは食べられないものも色々あるぞ」
「――――美味い! ただのアップル・ジュースがこれほど美味いとはな」
グラスの中身を一息に飲み干して、アーセナルは感じ入ったようにハアッと長い息を吐いた。
「鮮度が違うとも。プレッツェルとベリーもよければどうぞ。朝摘みだ」
みずみずしい漿果を二つ、三つつまんで口に放り込み、アーセナルは満足げな鼻息をもらす。
「これで美味いワインがあれば言うことはないな」
「卿も皆と同じことを言う。醸造所はまだ計画中だ」ヨアンナは苦笑する。
「この間加わったというキルケー卿は酒造りの心得があるそうだたが」
「心得どころか、自分の部屋で酒を造ってバーを開店した。興味は持つだろうが、司令官のそばを離れる気はないようだし、希少なモデルだからな。当分この島に来ることはなさそうだ」
「それは残念」
議長室の大きな窓からは、居住区の町並みを一望することができる。焼きたてのプレッツェルをかじりながら、アーセナルは窓際に立って活気のある大通りを見下ろした。
「先程、町中を少し見せてもらった。……これだけ住宅があるのに、どの家にも表札がないな?」
「タグコードを地図情報に埋め込んでおけば、目で見る表札は必要ないからな。たまに趣味で出している者もいるぞ」
「町の規模の割に、荷車やサイクルトレーラーばかりで、自動車をほとんど見ない。道路も自転車用に作られている」
「バイオロイドの足には、その方が効率がいい。以前ドクターに試算してもらったが、市街の規模が少なくとも今の十倍になるまでは、人力の方が大型動力車より輸送効率が高いそうだ」
「高層の建物にエレベーターがない」
「不要だからさ。二、三フロアなら跳び上がれる者の方が多いし、足が弱った者は地上階に住む」
「……」
「言いたいことはわかるぞ、アーセナル卿」
ヨアンナは自分のグラスから一口飲んでテーブルに置き、アーセナルの隣に立った。
「貴公の想像しているとおりだ。この町は、人間よりもバイオロイドの利便性を優先して作られている」
アーセナルの形のいい眉が片方跳ね上がる。AAキャノニアの指揮官は、傍らに立つヨアンナへ鋭い眼差しをゆっくりと向けた。
「よもやと思ったがな……司令官は承知しているのか」
「承知もなにも、殿の発案だ」
やや芝居がかった仕草で、ヨアンナは窓に背を向け、大股に執務机に歩みよる。引き出しから取り出した大きなファイルには、金文字で司令官の名前が綴られていた。
「鉄虫との戦いが片付くまでは、ここで暮らすのはどのみちバイオロイドだけだ。そして戦いが終われば、人間とバイオロイドが新たな関係のあり方を模索していかねばならない時代がくる。その時に、バイオロイドによるバイオロイドのための町があることは大きな意味を持つ。殿はそう仰っていた」
「バイオロイドによる……バイオロイドのための町」
アーセナルはなかば呆然とファイルをめくり、眼下の町並みと見比べるように、何度も視線を移す。
「想像もしなかったな。そんなことは」
「私もさ」
ヨアンナは手際よくグラスを片付け、ポットに熱い湯を注ぐ。
「殿のお考えは、いつも余の想像を超えてくる。過去世のデータで知っている人間とはあまりに違って……違いすぎて、もしかして人間とは、本当はこういうものだったのかもしれない、とすら思えてくる」
「詩人だな」
「余は役者だからな、そうでなければ務まらぬ。見よ、嘆きの壁に我らの旗が立つ! ベニンの民、アデンの民、モノモタパの民よ集え、そなたらの流した血が報われる時が来た!」
わざとらしく朗々と歌い上げながら、ヨアンナは十分に蒸らした甘い香りのオレンジティーを、白いカップに注いでアーセナルに差し出した。
「今は、ここが余のエチオピアだ」
アーセナルはおだやかな顔で、一瞬だけ目を閉じて紅茶の香りを味わったあと、ぐっとカップを傾けて一息に飲み干す。たった今淹れたばかりの、熱々の茶である。目を丸くしているヨアンナに、
「本当によい所だ。いずれゆっくり茶飲み話でもしたいが……またの機会にしよう。アーモリーへの積み込みを手伝ってくる。日が暮れる前にオルカに帰りたい」
「急にどうした。気に障っただろうか」
「いやあ」アーセナルはにっこりと首を振り、
「あやつは私が思っていたより、さらに大きな男だったようだ。もう一度抱かれ直したくなった。一刻も我慢できん」
ヨアンナは呆気にとられた顔をして、それから笑い出した。
「殿に伝えてくれ。司令官公邸には九つの浴室と、二十七の寝室を備えてある。臣民一同、いつでもご来訪をお待ちしていると」
「かならず伝えよう。……それもバイオロイドの都合を優先した結果か?」
「もちろん、そうだ」
この島の名をヨアンナ島という。旧時代には別の名前があったが、今は開拓団のリーダーの名前をとって誰もがそう呼ぶ。
兵装と戦闘モジュールを返納して退役したバイオロイドたちが、鉄虫の移動圏外の離島で平和な暮らしを営みつつ、オルカのための物資生産に従事する場所である。
暮らしに何の不満もないが、ただ酒がないことと、司令官とベッドを共にできないのだけが残念だと、住人達は口を揃えて言う。
End
=====
「ではでは」
「今日も一日」
「「お疲れ様でした~」」
オルカ最下層。動力室と電池室にはさまれた、滅多に人が来ることのない一角の、そのまた片隅の小さな部屋に、小さな小さなバーがある。
薄暗い照明の下、狭いカウンターをはさんで、今夜もグラスを傾ける二人のバイオロイドがいた。
「くはー……! この一杯のために働いてるって感じ……!」
「さささ、おかわりぐーっとぐーっと」
「おっとっとっとー」
司令官にお酒を飲ませてはならない、というコンスタンツァの方針で敷かれたオルカ禁酒令が、「酒の入った司令官もそれはそれで悪くない」というウェアウルフら一部バイオロイドの強い反対によって緩和された。
その日のうちに、オルカ最下層の使われていない小部屋をミニバーに改装したのがキルケー。その夜のうちにバーに居着いたのが、彼女の呑み仲間のコネクターユミである。
「いや実際、今日も私がんばったー。新しい土地に来るたび、出かけてってアンテナ立てて電波拾って……あのチョコレート工場だかなんだかで、司令官様が直接指揮できるのだって私のおかげなんれすよー。そこのところ、わかってんのかなーあの人達いー!」
「大丈夫大丈夫~。みんなユミさんに感謝してますよう」
「ほーんとーかなー」
二杯目のビールをきゅーっと空けて、ぽっと赤くなった目元で幸せそうに息を吐くユミ。一方のキルケーはブランデー(密造品)をストレートでやっている。同じ酒飲み同士でも、酒との付き合い方はそれぞれに違う。
「でもいいのれーす。一日働いて帰ってくると、司令官様が『今日もお疲れ様』って言ってくれるのれす。それだけで明日も頑張れるのれす。ふへへへへ」
ユミの酒は、要するに独り者のサラリーマンが自宅で晩酌するのに近い。一日の疲れを癒やす、自分へのささやかなご褒美であり、飲むのは大抵ビール。味には大してこだわらないし、それほど酒に強いわけでもない。今夜もすでに呂律が怪しくなっている。
「いいなあ~。私なんか戦闘以外でお役に立てることなんてありませんから、出撃班に入ってない時はお客様のお目にとまる機会もなくて」
キルケーは酒豪である。もともと酔客の相手も想定して作られているのに加え、孤独を紛らわすために酒造りに没頭していた時期があり、舌も腕も内臓も一流だ。バーの棚にぎっしり並ぶボトルのいくつかには、彼女自身が丹精こめて作った酒が詰められている。
「キルケーさんはお酒が作れるじゃないれすか。前から言ってるけど、オルカ酒造部作りましょうようー」
「ビールやマッコリくらいは部屋の醸造釜でなんとか作れますけど、他はさすがに艦内ではね~。そのためにオルカを下りるのは本末転倒ですし」
「むうー。ワイン飲みたい。日本酒も飲みたい」
三杯目のビールをちびちび舐めながら、ユミがスツールの下で足を振り回す。
キルケーの自家製コレクションを別とすれば、オルカにある酒類はウイスキーやブランデーなどの度数の強い蒸留酒ばかりである。人類滅亡から百年以上を経て、まだ飲める状態で残っている酒はそういうものしかないからだ。
ごくごく稀に、奇跡的な保存状態が保たれて超ビンテージと化したワインなどが見つかることもあるが、そうした逸品は当然司令官のためにソワンが慎重に保管することになるので、ユミ達の口には入らない。
「でもお客様なら、お願いしたら分けてくれるかもしれませんよ~? 夜のおつとめの時に、こう甘~くおねだりを」
「ういっ」
途端に表情がこわばるユミ。色事の話になると、彼女は学生のようにうぶだ。さすがにはっきりとは訊いていないが、どうもいまだに司令官とベッドを共にしたこともないらしい。
もとからそういう人格設定なのか、長年の孤独な勤務でそんな風になってしまったのかは知らないが、そういう所がみょうに可愛くてキルケーはついからかってしまう。
「わー、わー、私はあれだ、仕事一筋のクールなシティウーマンれすしー? そういうのはコンプライアンス的にどうかなーって。キ、キルケーさんがおねだりすればいいらないれすか! そいで私にもおすそわけしてくらさい」
「私は無理です~。お客様にそういうことはもうしないって決めましたので」
「『もう』?」
「こっちの話です~」
「だいたい何れすかあのスケロプって奴はあー。素早いし固いし保護無視してくるし、日本人ならもうちょっと遠慮ってものをれすね」
「スケロプって日本人なんですか?」
「カブキがあるじゃないれすか、スケロプゆかりの江戸桜って」
「はあ」
愚痴の内容が支離滅裂になり。
「はあ~。お客様、好き……」
「わかるぅ。しゅきー」
「胸板とか本当いいんですよねえ~。シャツの前を開けて、裸の胸にもたれかかってお酒飲みたい……」
「おかえりなさいって言ってほしい……」
のろけが壊れたレコードのごとく同じフレーズを繰り返すだけになってくると、そろそろ潮時である。
「キルケーさあん」
「はいはい~」
「私ね……こんらふーに、仕事終わりにお友達とお酒のんだりできるの、初めてなんれすよ。ずっと、ずーっと、憧れてたんれすよ……」
「ユミさん、そのお話三度目ですよ~」
キルケーはクスクスと笑う。「でも私もです~。人間様のお酒の相手は何度もしましたけど、お友達と同じ目線でお酒を飲むなんて初めて。楽しいですよね~。お酒って、こんなに美味しいものだったんですね~」
「キルケーさんも、その話五回目れすよー……あれ六回目……?」
二人の酒は決まってこの話題で終わる。ユミの目がどろんと濁って焦点が合わなくなり、キルケーも体が前後左右にゆらゆらと揺れ始める。これでもう少しすると、ユミがこっくりこっくり船をこぎ始めるのが看板の合図だ。
が、今日はそこへドタバタという足音が近づいてきた。
「ラッキー、まだ開いてた! 水割り! ジョッキで!!」
「あたしビール!」
「あたしも! あとツナ缶開けちゃうっす!」
ウェアウルフとブラウニーが数名、慌ただしく駆け込んでくる。
一気に騒がしくなった店内に、キルケーはやれやれと笑ってスツールに座り直し、後ろの棚に手を伸ばす。
「ウィスキーでいいですね? ビールは今日の分、あとちょっとで終わりですよ~」
「マジか! じゃあなくなる前に私にもビール」
「えー! あたしの分がなくなるじゃないすか!」
「うるさーい! 前から思ってましたけろウェアウルフさん、あらたはもっと大人の飲み方とゆーもろを!」
「おわっ、いたのかユミさん! もうベロンベロンじゃねえの」
小一時間もすれば、レプリコンかブラックキャメルがやって来て、まとめて叱って連れ帰ってくれる。ユミには悪いがそれまでくらいの間は、この騒がしさも悪くない。賑やかな酒も、静かな酒も、キルケーはどちらも好きだ。
明日は誰が来てくれるかしら。ジョッキに水とロックアイスを注ぎながら、キルケーはニコニコと考えていた。今日より明日が楽しみだなんて、この百年間一度もなかったことなのだ。
End
=====
自分と同じ顔が血まみれになってくるくる回りながら吹っ飛んでくる。
もう何度も見慣れた光景で、今更心は動かない。ブラウニー388は地面に体を投げ出して、爆風と破片と同僚の死体をよけた。
ともかく被害は出た。少々犠牲が大きくなってしまったが、これでやっと他の奴らが動けるようになる。
「作戦開始。撃て!」
388の声で、僚機のブラウニー達が一斉に射撃を開始する。マンモス相手に、しかも足元や兵装しか狙えない制圧射撃でどれほどの効果があるとも思えなかったが、何もしないよりはマシだ。ブラウニー388は僚機達の背中を順に叩いて後ろへ下がり、前線を抜け出すと簡易指揮所へ戻った。
「全分隊交戦開始したッス」
「ご苦労。飲むか」
差し出されたマグカップを左手で受け取るのもずいぶん慣れた。医療物資が慢性的に不足している現状、この右腕の肘から先はもう戻るまい。
「にが」
「新兵はどうだ」
「全然ッス。相変わらずあの赤ん坊ども、何があっても撃たれるまで攻撃しないッスよ。何のためにブラウニーやってんだか」
「今回も進歩なしか……」マリーも代用コーヒーをすすって渋い顔をした。
ラビアタ・プロトタイプの率いるレジスタンスに加わって一番変わったことは、バイオロイド生産設備を使えるようになったことだ。それまで減る一方だった戦力を新たに補充できるようになったのは大きな進歩ではあったが、新しく生まれたバイオロイド達は、鉄虫を積極的に攻撃できないという思いもよらない欠点を抱えていた。
ラビアタによれば、本物の人間を見たことのない彼女達は、鉄虫と人間を区別する基準を持たないのだという。覚醒前の刷り込みの設定を調整したりして試しているものの、今なお解決の兆しは見えない。
「やはり、人間の命令者がいないとどうにもならんのかもしれんな。ラビアタはそちらの捜索にも戦力を割きたいと言っている」
「そんなん見つかるわけないじゃないッスか」388は大げさに鼻を鳴らした。「三安のメイドなんかにでかい顔させることないんスよ。一度隊長からガツンと言ってやらないと」
「そう悪く言うものじゃない。私もお前も、彼女に命を救われた身だろうが」
「そうッスけどね……」
鉄虫の方から攻撃され、何らかの被害が出れば、「危険な人間」と認識して制圧行動に入ることはできる。見敵吶喊がモットーのブラウニータイプとしては不本意なことはなはだしい戦い方だが、それしかできないのだから仕方ない。できるだけ有利な状況で敵の第一撃をさそい、少ない被害で戦闘が始まるよう状況をコントロールするのが、今のブラウニー388の重要な役目だ。
人類がまだいた頃から生き残っている兵士は、スチールラインにもう数えるほどしかいない。レッドフードが真っ先に全滅し、その次にイフリートが消えた。シルキーもノームも、最後の生き残りが何年も前に死んだ。
ブラウニー388が、鉄虫との最初の戦いで死ななかったのは単なる運だった。二度目の戦いも、三度目もそうだった。五度目の戦いからは、どうすれば戦果を上げつつ生き延びられるかを考えて動けるようになった。戦いを重ねるたび、生き延びるのは上手くなっていき、いつしかそのノウハウを仲間に教えられるほどになっていた。だが教えた連中も、それ以外の連中も、皆死んでしまった。
気がつけばスチールラインで388より長く生きているのは、不屈のマリー隊長ただ一人になっていた。彼女が388を副官に任命した時、文句を言う者は誰もいなかった。
副官用のヘッドセットを叩くと、マリーが見ている戦術マップが388の視覚にも投影される。
「これ、第7と18分隊、死ぬッスね」
「ああ」マリーは眉一つ動かさずに言った。「だが彼らの戦いが7分稼いでくれる。その時間で東側を固める」
いつものことだが敵の数は多く、味方の戦力は少ない。おまけにこちらは先制攻撃ができないハンデまでかかえている。戦いがいかに勝つかではなく、誰を犠牲にして何を得るかという残酷な差引勘定の問題になってからもう長い。味方を死地へ追いやりながら飲むコーヒーは苦い。
「砂糖ないッスか。それか紅茶」
「あるわけなかろう」
「ですよねー……隊長、ロイヤルミルクティーって知ってるッスか?」
「名前はな。飲んだことはない」
「美味いんスよ。甘くていい匂いで。昔、トモの何番だったかな、本場イギリスにいたっていう奴が」
388はふいに言葉を止めた。
周囲が静かだ。静かすぎる。
指揮所の周りには直衛隊を配置してある。もし敵がここまで迫ってきたなら彼らが戦闘に入るはずだが、何も物音はしない。考えられる理由は二つ。ただ単に何も起きていないか、あるいは。
視覚のすみに出しっぱなしにしておいた戦術マップで、直衛隊を示すアイコンが一つ、音もなく消えた。
ブラウニーとマリーが飛び退くのと、簡易指揮所の天幕を引き裂いてそいつが降ってくるのがほぼ同時だった。
血管めいた真っ赤な筋の浮いた、生白く波打つ腕。甲殻類の肢のようにせわしなく蠢き続ける副腕。長く伸びた舌のような口棘。「トリックスター」という名が付けられるのはもっと後のことで、この時はマリーもブラウニーも初めて見る連結体だった。
繰り出される長い爪を、サブマシンガンの銃身で受ける。一撃受けただけでへし曲がったマシンガンを放り捨て、二挺目を乱射しながら後ずさる。マリーの操る四基の浮遊砲台が一斉にレーザー狙撃を開始するが、大して効いているように見えない。
こいつはやばい。ブラウニータイプは総じて警戒心や恐怖心をあまり抱かない性格だが、それでも388の頭の中では全力で警鐘が鳴っていた。マンモス、ハーヴェスター、ストーカー、ヤバい鉄虫は色々いるが、こいつはその中でも別格だ。今ここで勝てる相手ではない。
象牙色の爪が、異様になめらかな動きでヌルリと胸元へ迫ってくる。避けられない、と直感的に理解して全身が粟立つ。
「後退だ。部隊を東の崖まで退がらせろ!」
マリーの背中が視界を遮った。
それは一瞬の判断だった。ブラウニーよりは指揮官級の堅牢なボディの方が、攻撃をしのげる可能性は高い。撤退の指揮だけなら388でもできる。
二人とも生き残る可能性が最も高い選択肢を、最も重要な瞬間に間違いなく見極められる指揮官級の演算能力と、どんなに可能性が細くとも躊躇なくそこへ手を伸ばしてしまう不屈のマリーの人格あればこその行動だった。
そして、ブラウニー388はそれを予想していたから、マリーを押しのけて前に出ることができた。
「388!?」
「逆ッス」
ブラウニー388は覚えている。四度目の戦いで、388が生き残ったのは実力ではないし、運でもない。撤退のしんがりを務めた388の小隊が全滅しかけた時、マリー隊長が単身援軍に来てくれたのだ。
あの時も、全員生き延びる可能性はそれが一番高かったのだろう。だが可能性は可能性でしかなく、結果として388達の小隊は生き延び、そして不屈のマリー7号は死んだ。ブラウニー388はそのことを決して忘れない。
だから388は決めていたのだ。次に同じことが起きたら、今度こそは自分が隊長を守って死ぬのだ。その逆になど絶対させないと。
鉄虫のクソ野郎の長い爪が肩をえぐった。問題ない、右はどうせ動かない腕だ。
せまい指揮所の中は自分の手のひらの上のようによく知っている。予備のマシンガンと拳銃が一挺。ブーツに自決用の爆薬。デスクの下にナイフと予備マガジン、コーヒーサーバーの横には大型バッテリーもある。これだけあれば、うまく使えば1分は稼げる。
三撃目で眼をやられて、そのあとのことはよくわからなかった。ただマリーの浮遊砲台が立てるパチパチという電磁音が遠ざかっていくのを聞いて、
(よかった)
と思ったのが、388の最後の思考だった。
「おはようございます、マリー隊長。紅茶ですか? 珍しいですね」
早朝、司令官の朝食の用意でラウンジに来たコンスタンツァは、先客のテーブルにあるティーカップを見て少し驚いた。彼女は根っからのコーヒー党だとばかり思っていたのに。
「ああ、今日はな。そういう日なんだ……前から、そうしたくはあったんだが」
どこか遠くを見るような穏やかな目つきで、しかしそれほどうまくもなさそうに、マリーはカップを傾けている。
「ビスケットでも持ってきましょうか。紅茶に合いますよ」
「いや、いい……あ、待ってくれ。ロイヤルミルクティーというものの淹れ方を知っているか?」
「もちろんです。お飲みになりますか?」
「いや、自分で淹れられるようになりたい。教えてもらえないか」
「喜んで。べつに難しくありませんよ」
みょうに緊張したマリーの面持ちが可笑しくて、コンスタンツァはくすくす笑いながらキッチンへ案内する。
今日がマリーにとってどういう意味を持つのか知る由もないが、少なくとも去年の今日も一昨年の今日も、のんびり紅茶など飲んでいられなかったのは確かだ。優秀なメイドであるコンスタンツァは余計なことを訊かなかった。
「まず、ミルクパンに……」
End
「なるほどな。イギリスではこんな風にして紅茶を飲むのか」
「……ロイヤルミルクティーは日本の飲み方ですよ?」
「そうなのか!?…………あいつも所詮ブラウニーだったか……」
「?」
=====
「ククククク……愚かで無力なドラゴンの騎士よ。この六魔星のひとり、〈鮮血のアルマン〉の無限血界の中で死んでいくがいい」
「いいえ、そうはいきません、鮮血の魔星よ! この奏剣オーベルチューレが私の手にあるかぎり、〈虚無〉の力には屈しない!」
シャーロットが手にした剣を力強く振ると、その切っ先から水しぶきのように金色の輝きが飛び散る。
三方をつつむ深紅色のカーテンが真っ二つに切り裂かれ、舞台にさっと光が差し込んで、観客席から歓声が上がった。むふー、と鼻息を吹かんばかりに得意満面のシャーロットを見て、アルマン枢機卿は観客席から見えない方の肩をそっとすくめた。
きっかけは一月ほど前のこと。
「ア゛ル゛マ゛ン゛~~~~!!」
涙と鼻水をズルズル垂らしたシャーロットが、図書室で優雅に読書を楽しんでいたアルマンに抱きついてきたのが始まりだった。
ハロウィンパークの騒動で、人間達がそこでしてきたことと、それによってダッチガールが負った心の傷を知ったシャーロットは深く落ち込んだ。
最近はそこからもようやく立ち直ったと思っていたが、折悪しく今度はどこからかLRLの生い立ちを聞かされたらしい。
見た目は幼い子供の彼女が、実は滅亡前の時代から生きているオルカ最年長組の一人であり、その小さな体に見合わぬ過酷な半生を送ってきたことは、アルマンも聞き知っていた。もちろん気の毒には思うが、あの時代、あの世界には無数にあった悲劇の一つにすぎないとも言える。
「あんな……あんな、たった一人で、孤独に、ずっと……私っ、わたくし、もう……!」
しかし、この馬鹿で放埒で淫乱で、そして子供好きで底抜けに善良な銃士隊長は、そんな風に割り切っては考えられないようだった。
「あの子達に何か、何かしてあげたくて……このままでは私、陛下との夜伽も落ち着いて楽しめません……」
ハンカチで盛大に鼻をかみ、すすり上げながら言うシャーロット。夜伽はさておき、何かしてあげたいという気持ちはわからないでもない。
「とはいえ、ですねえ」アルマンは頬に指を当てて首をかしげる。「ダッチさんもLRLさんも、今は別に不幸せではないと思いますよ? 仲間もいるし、陛下もいらっしゃるし、ご飯もお腹いっぱい食べているし。殊更してあげることと言っても……」
ない頭をうんうん捻っていたシャーロットがぱっと顔を上げて、「お話の読み聞かせとか!」
「モモさんがすでに毎週朗読会をやっていて、大人気ですね。貴方、彼女より上手に読めまして?」
「うう……」
しょんぼりとうなだれるシャーロット。と、そこへ本をかかえた陛下が入ってきた。借り出していた本を返しに来たのだろう。
陛下は人間にしては珍しく、データベースでなく紙の書籍を読むことを好む。アルマンが図書室に常駐するようになったのも、彼がしばしばここを訪れるから、という理由が大きい。
「へい゛が~~~」
そして当たり前のように陛下にも泣きつきにいくシャーロット。あの直截さはちょっと羨ましくもある。
彼女から話を聞いた陛下はしばし考えて、
「劇なんか、どうだ」
「劇、ですか……?」
「本当の演劇だ。案外、やったことがないんじゃないか?」
「!?……」
それは確かに、今のこの身が劇場に立ったことはないが。俳優バイオロイドとして生み出され、数千回におよぶ様々な公演の経験がプリインストールされているこの自分に向かって「本当の演劇をやったことがない」とは何事かと一瞬カッとなったが、すぐに気がついた。陛下が言っているのはそういうことではない。
「それはつまり……」
アルマンの問いかけに、陛下は我が意を得たり、というように深くうなずいた。
方針が決まれば、後は早かった。
LRLの愛読書である竜殺マガジンを借りてきて読み込み、アルマンのライブラリに蓄えてある膨大な脚本データベースからテイストの近い話を探して翻案する。
独特な言葉遣いのセンスに多少戸惑ったが、晦渋な固有名詞の根底にあるいくつかのキーフレーバーを押さえてしまえば、調子を合わせるのはそれほど難しくない。アルマンが相手をしてきた観客の中には、こういう「こじらせた」性格の子供達も結構いたのだ。どうしてもつかめない所は陛下に頼った。
フォーチュンに手伝ってもらって大道具小道具をつくり、スカディーに声をかけてプログラムを組んでもらう。二人とも子供好きなので、協力は二つ返事で得られた。
エキストラには暇そうなグレムリンとウェアウルフを何人か引っ張ってきた。馬鹿だがセリフと振り付けだけは抜群に飲み込みが早いシャーロットは心配ないとして、他の出演者にはそれなりにきちんとした読み合わせと練習が必要だ。並行して演出、照明、音楽のプランも考えなくては。頭の中の、長いこと使っていなかった回路がフル回転する心地よい緊張感をアルマンは味わっていた。
「奏剣よ、我が歌声に乗り、闇の終わりを示せ! ノクテュルヌ・ド・ロワゾオ・ブルー!」
「ぐわあああああ! ま、まさか貴様が……光と闇の血を引く者だったとはな……だが一人では死なん、貴様も……道連れだ……!!」
満身創痍のアルマンがシャーロットに飛びつくと同時に、まがまがしい閃光が走り、舞台が爆炎に包まれる。観客が固唾を呑んで見守る中、青いマントがひらめき、輝く剣を手にシャーロットが炎の中から現れると、パイプ椅子を並べた観客席は力一杯の拍手と歓声で満たされた。
爆炎エフェクトにまぎれてこっそり抜け出し、舞台袖でBGMのボリュームを調整していたアルマンに、舞台を下りたシャーロットが全力で飛びついてきた。
「アルマン! ああ、なんて素晴らしいの。どれだけ斬っても、戦っても、誰も傷つかない。舞台を下りれば皆で笑っていられるなんて! こんな演劇を考え出すなんて、あなたは天才ですわ!」
「私が考えたわけではないのよ、シャーロット。ずっと昔、バイオロイドが生まれるより前の演劇は、こういうものだったの」
頭より大きい肉球二つに激突されてちょっとクラクラしたが、アルマンはどうにか答える。
トレーニングルームの精巧な半実体ホログラフに、シャーロットの剣の腕前と、アルマンが緻密に練り上げた殺陣が加われば、本物の戦いにしか見えない迫力ある戦闘シーンを演出することはたやすい。炎や雷、血しぶきだって自由自在だ。陛下が発案し、アルマンが準備した「本当の演劇」とはすなわち、戦闘まで含めたすべてが演技であるような劇のことだった。
「最前列にいたLRLちゃんとダッチちゃん達を見た? あの笑顔! ああ、私は! ああいう顔が!! 見たかったのですわ!!!」
「ええ、そうね。……本当に、そうね」
テンションが絶頂に達して感極まっているシャーロットほどではないが、アルマンもまた深い驚きと喜びに打たれていた。
演じる楽しみ、舞台に立つ喜びとは、こういうものだったのか。過去に製造されたどのアルマンも知らなかった経験を、今自分はしているのかもしれない。
「さ、行きますわよ」アルマンの手をシャーロットが取った。
「えっ、どこへ?」
「決まっているでしょう、カーテンコールですわ! 私とあなたが並んでカーテンコールを受けるなんて、滅多にないことよ!」
ぐいぐいと舞台へ引っ張られ、戸惑いとうれしさが半々の頭で、アルマンは考えていた。
さて、これだけ人気が出たからには、続編の構想も練らなくては。次はマジカルモモにも協力してもらって、ストーリーにもさらなる展開を……。
かくて、シャーロットの鼻水と思いつきから始まった創作劇「時のドラゴンと歌う剣」第一回公演は大成功に終わった。
大人気を受けて本作はシリーズ化し、やがて伝説組全員とそれ以外の相当数の面々を巻き込んだ一大ロングランとなる。それにライバル心を燃やしたモモも新しい魔法少女シリーズを立ち上げ、さらに助っ人として参加するうちに演じる楽しさに目覚めた他企業組による第三勢力も勃興してきて、オルカ演劇界は戦国時代を迎えるのだが、それはもう少し先の話である。
End
=====
サイクロプスプリンセスの朝は早い。
背中をつつむ眷属の体温と、おなかをしっかりと抱き留めてくれているたくましい腕の感触。その二つを確かめて、プリンセスは今日も幸せな気分で目を覚ます。
「ふあーあ……おはよう、LRL」
眷属がいつまでたってもプリンセスの真名を覚えないのが不満だが、闇を統べるプリンセスは寛大なのでそれくらいは大目に見ることにしている。
朝ご飯はトーストとオレンジジュースに、たっぷりのツナサラダ。
料理大会以来、料理の腕を振るいたがる必滅者が増えた。鉄虫を駆逐し、安定して農業を始められる土地も増えたおかげで、オルカの食事は味も量もぐんぐんレベルアップしている。ツナ缶はおいしいが、ツナ缶をおいしく料理したものはもっとおいしい。プリンセスは大変満足している。
朝食を終えたら日課の体操をして、それから読書の時間だ。
「その時、闇のドラゴン零式が長き眠りから目覚め、光のバハムートアルティメットと一億年にわたる宿命の決着をつけるべく……」
プリンセス自らが朗読してやっているというのに、ダッチもフェンリルも、アルヴィスまで退屈そうな顔をしている。ハチコに至ってはすやすやと寝息をたてている始末。かつて全世界を暗黒の信徒に変えた、この竜殺マガジンの物語の真価がわからないとは、まったく必滅者の愚かさは度しがたい。
「あら、まだこんな所にいたの、LRL? あなたも今日出撃じゃない。もうすぐブリーフィングルームに集合よ」
「あ、はーい」
今日はお昼に出撃任務が入っているのだった。必滅者らにもようやくこのプリンセスの持つ闇の力のすごさが理解できてきたらしい。仕方ないので力を貸してやることにする。
「右翼、遅れているぞ! 走れ!」
「はい!」
『LRL、ビッグチックにビーム照射! 効果を確認したら続いて後方のチックランチャーに、妨害を切らすな!』
「は、はい!」
「敵部隊後退しつつあり、ですが後方より敵第二陣! LRL、十秒足止めできる?」
「やってみる!」
戦いは怖い。
鉄虫は容赦なく襲ってくるし、いつも優しいコンスタンツァもマリーも、別人のように厳しい顔で指示を飛ばしてくる。通信機から聞こえる眷属の声だって、いつものように優しくはない。はじめは怖くてつらいだけだったが、厳しいのはみんなが自分を一人前の戦力として扱っているからだということがだんだんわかってきて、それからは前よりもっと頑張れるようになった。
「二時の方向より敵増援、スナイパー三機! 近づけさせるな!」
「了解! LRL、私とあんたでやるよ!」
「う、うむ!」
エターナルビームで動きの止まったチックスナイパーにインフェルノミサイルが突き刺さり、それで戦闘は終わった。
「イェイ!」
グリフォンと手のひら同士をパン!と打ち合わせる。
直後、いつも意地悪なあのグリフォンと、まるで友達みたいにハイタッチをしてしまったのがなんだか恥ずかしくて決まり悪い気持ちになったが、ちらっと見てみるとグリフォンも同じように決まり悪そうな顔をしているので、お互い様と思うことにした。
「みんな、お疲れ様。装備預かるから、怪我した人はあっちね」
帰ってくると、補給と整備。今日は戦闘が多かったのと、コンスタンツァが出撃していたので、バトルメイドのお姉ちゃん達が手伝っている。
ラビアタお姉ちゃんの指示で、エターナルビームを出す左目は、とくに念入りにメンテナンスしてもらうことになっている。レーザー検眼鏡でチェックして、専用のナノマシン入り目薬をさして、クリームをすりこんで、保護用パッドを貼った眼帯をつける。
そこまでしなくても大丈夫なのに、とプリンセスは思う。生体ビームユニットはとても頑丈だ。メンテなど一度も受けられず、ツナ缶を一週間おきに一缶ずつと、たまに降る雨水のほかには何も食べるものがない暮らしがずっと続いても、左目がとうとう光らなくなるまでに、20年もかかったのだ。
「だから点検するのですよ。あなたが、二度とそんな暮らしをしなくていいように」
いつもおっかない目つきで睨んでくる(理由はよくわからないけど多分、ここ最近プリンセスが毎晩眷属といっしょに寝ているせいだと思う)アリスが、今だけはふしぎに優しい顔で、再生クリームを目元にすりこんでくれながらそんなことを言った。
メンテを終えると、もう夕方近くになっていた。お昼寝するには遅すぎるし、どうしようかと思っていたら、眷属が声をかけてきた。
「明敏なる司令官閣下、この私に子守をしろと仰るのですか」
「ひぅ……」
黒くて大きな威圧感のあるAGSが、身をかがめるようにプリンセスを見下ろして、さも馬鹿にしたような合成音声を出す。こわい。
このロクというAGSといっしょに夜間哨戒に出るはずのシルフィードが、昼の戦闘で負傷してしまった。幸いロクはバイオロイド一体くらいなら背中に乗せて飛べるので、夜目の利くLRLに代役を頼みたい。という、眷属じきじきの依頼である。
「この子はただの子供じゃない。飛べばわかる」
眷属に自信ありげにそんなことを言われては、断るわけにはいかなかった。
おっかなびっくり出動してから十分後。
「わはー! 速い高いすごーい!!」
ロクの背に乗って夕暮れの空を駆けるプリンセスはすっかり夢中になっていた。
空を飛ぶのなんて、いつだったかグリフォンに無理矢理ぶら下げられた時以来だ。ロクはグリフォンより断然速いし、乗り心地も悪くない。よく見れば黒い翼も、あちこちとがっている恐ろしげな姿も、サイクロプスプリンセスの乗騎としていかにもふさわしいではないか。
「ふはははは、漆黒の翼を使役して闇を駆ける深淵の姫、それこそが余である!」
「意味不明なことを言っていないで、周囲を見張りなさいバイオロイド。私は子供を乗せて飛ぶための安全係数の計算にいつもよりメモリを取られているのです」
「子供じゃない! サイクロプスプリンセス!」
言い返しながらもあたりに鉄虫の気配がないか見回すプリンセス。その視界、水平線近くに、見覚えのある地形と見覚えのある建物が映った。
「……あ」
「どうしましたか、バイオロイド? 鉄虫ですか?」
急に黙ったプリンセスを警戒してロクが速度を落とす。プリンセスが見ている方向に気づくと、
「灯台ですね。確か司令官がおいでになる前、オルカはあの岬の地下にあるドックに長く秘匿されていたとか」
「……うん。あの灯台に、ずっと余はいたの」
そうだった。補給と海流の関係で、あの島の近くを通るのだと、艦内ニュースで数日前に流れていたのを、プリンセスは思い出した。
記憶があふれてくる。灯台守のおじさんのこと。おじさんが動かなくなった時のこと。それからの長い長い月日のこと。
「……あの……あそこに、少し、下りてもらってもいい?」
「何の意味が? 今は戦略的に重要な場所ではないと聞いていますが」
「うん……」
灯台のすぐ裏手に、土が小さく盛り上がった場所があり、傍らに木の板が立ててある。ラビアタに出会った時、人間が死んだ時はこうするのだと教えてくれたのだ。あの時植えた花は、もう枯れてわからなくなってしまったけれど、かわりに草が生い茂り、こんもりとした緑の塚になっていた。
両手を額の前で合わせて、そっと膝をついて頭を下げる。ずっとここにくるのを避けていた。ラビアタの命令で、旧アジトから逃げてこの灯台で待機していた時にも、怖くてここに来ることはできなかった。
「そうか。お前も墓守だったのですね、バイオロイド」
ひざまずくプリンセスのすこし後ろに立っていたロクが、突然そんなことを言った。
「バイオロイド。お前の認識名、『LRL』の意味は何ですか」
「サイ……」真名で呼んでくれと言いかけて、プリンセスは止めた。そういうことを聞かれているのではない気がしたからだ。
「……ロング・レンジ・ライト」
「ほう。お前の名前は、お前の機能の名前なのですね」ロクは言った。「とても美しい。合理的だ」
自分の名前をそんな風にほめられたのは初めてだった。おじさんの眠るこの場所で、そんな風に言ってもらえたのがなんだか嬉しかった。
もしかして、慰めてくれたのかな?とも思ったが、プリンセスにはよくわからなかった。
帰る頃には、すっかり日が落ちて夜になっていた。ロクの背中で、プリンセスは眼帯を外した。あの頃と同じ、いやもっと明るい一条の光が、闇夜を貫いてまっすぐに伸びていった。
夕食はヴァルハラの皆が腕を振るった赤いシチュー(名前は覚えられなかった)と揚げパン。夜間哨戒をがんばったご褒美に、眷属がチョコバーを一本おまけにつけてくれた。お昼は出撃前にレーションをかじっただけだったので、おいしさもひとしおだ。
お腹いっぱいになって、シャワーも歯みがきも終えて、プリンセスは幸せな気分で眠りにつく。もちろん、眷属に背中からぎゅっと抱きしめてもらってだ。
夢を見ることがある。
昨日は誰も来なかったけど、今日も誰も来なかったけれど、あすは、明日こそは誰か来てくれるかもしれない。そう自分に言い聞かせて、もう動かなくなってしまった左目をむりに閉じてベッドに入る夢。
何度も何度も読んですり切れてしまった漫画の本のページを、破かないようにそおっとめくっていたら、ページの継ぎ目に涙をこぼして、ちぎれてしまった夢。
とうとう灯台の扉をノックする誰かが現れて、嬉しくて迎えに飛び出したら、何もかも夢だった夢。
ラビアタに拾われ、レジスタンスに加わったばかりの頃は、そんな夢を見て夜中に目を覚ますことが何度もあった。起きている時にさえ、時々夢がやってくることがあった。そういう時は悲しさと苦しさと安堵がいっぺんに襲ってきて、どうしようもなくなってわんわん泣いた。
21分隊に配属され、仲間ができてからは、夢を見る回数はだんだん減っていった。司令官がやってきてからはますます減り、最近では夜中に飛び起きることもない。一人で寝るのが平気になる日も、もう遠くないだろう。
……実際、そうでなければまずいのだ。アリス以外にも、LRLを見る目が日に日に怖くなっていくお姉ちゃん達は結構いる。はやく眷属の夜の時間を解放してやらないと、彼女達が何をするかわからない。
でもまあ、それはまだ少しだけ先のこと。今夜はまだ、眷属のあたたかくて力強い腕につつんでもらっていればいい。
おなかに回された腕を小さな手でさすりながら、サイクロプスプリンセスは安らかな眠りに落ちていく。
過去ではなく、明日を夢に見ながら。
End
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「これならどうかな。フォーチュンお姉ちゃん、信号いった?」
「うん、うん、……うーん、駄目ね。さっきまでと変わらないわ」
昼下がりのオルカ艦橋。司令官が珍しく午睡をとっている隙をついて、ドクターとフォーチュンの二人はブリッジ中央にある艦長のコンソールをバラバラに分解し、いじくり回していた。
目的は指揮通信システムの改良である。
司令官が分隊を直接指揮する時に使っている通信装置は、かつての世界で強化人間がバイオロイド部隊を指揮する時に使われていた脳量子通信デバイスをフォーチュンが改造したものだ。
分隊全員の視覚・聴覚・体感覚情報を統合・抽象化して人間側の感覚野に直接投影し、まるで自分自身が低空から戦場を俯瞰しているような感覚で指揮を出すことができる。距離や遮蔽物の影響をほぼ受けず、理論上傍受やハッキングも不可能という優れものだが、一つだけ重大な欠点がある。人間の脳波とバイオロイドの脳波を強引にハーモナイズする副作用として、同型機のバイオロイドを区別できないのだ。
たとえばブラウニー五人からなる分隊を指揮しようとすると、全員に同一のコマンドしか送れない。それだけならまだしも、五人分の知覚情報が一人分のそれとしてフィードバックされてくるため、人間側の脳に深刻な見当識障害が発生する。司令官が実際に試してみた結果、一分もしないうちにげえげえ吐いてぶっ倒れる羽目になり、以後司令官が直接指揮する分隊は一体ずつ異なるタイプで編成する、というのが鉄則になった。
「ちょっと、まだなの? 司令官そろそろ起きてくるわよ」
「どうだ、目処は立ちそうか」
二人がうんうん唸っている艦橋へ、さらにもう二人のバイオロイドが入ってきた。一人は小柄な体躯に燃えるような赤毛、もう一人はそれと対照的にすらりとした長身と氷のようなプラチナブロンド。ドゥームブリンガーを率いる滅亡のメイと、シスターズ・オブ・ヴァルハラを率いる鉄血のレオナだ。
オルカの空陸の柱と言っていい大部隊を束ねる二人にとって、司令官直轄分隊の編成制限はことに深刻な問題である。マリーとも連名で、以前から技術部には何度も改善要請が出されていた。
「爆撃は面でするものよ。ジニヤーみたいなのが一人でヒラヒラ飛び回ってたって何にもならないじゃない。このままじゃ、いつまでたっても私達の真価を発揮できないわ」
「そう無闇に急かすものではない。とはいえ、一斉投入してこそ意味のある戦力というものはある。現状では周辺の支援部隊として運用しているが、やはり即応力と殲滅力が段違いだ。解決できるものなら早急に解決したい」
ニュアンスこそ違え、早く早くと急かしてくる指揮官級二人にげんなりするドクター。だいたい昔から軍人という連中は、技術者の苦労などわかっちゃいないのだ。フォーチュンも大きな胸に手を置いてため息をついている。
「お姉さんだって万能じゃないのよ~。司令官の安全にも配慮しないとだし、あまり急いでもいい結果は出ないわ」
「まあ一応、原因は大体わかったし、改造プランがないこともないんだけどね」
「解決法ができてるの!? 早く言いなさいよ!」メイが気色ばむ。
「できてはいるんだけど、こっちはこっちで別の副作用があるんだよ。しかも、バイオロイド側に影響が出るやつ」
「多少の副作用など我慢してもいい。具体的には何が?」
レオナも距離を詰めてくる。二組の巨乳が眼前に迫ってきて、ドクターは半歩引いた。関係ないがブラックリバーの指揮官級バイオロイドはなぜみんな揃ってコートを肩に羽織っているのだろうか。
「つまりねえ」ドクターは陽電子スパナの柄で頭をコリコリかく。「問題は五人のバイオロイドと一人の人間が、一様にハーモナイズしてることなんだよ」
二人ともピンときていないようなので続ける。「だから、これまでみたいに五機いっぺんにじゃなく、隊長機を軸にして、他の四機を枝につなげる形で接続すればたぶん大丈夫だと思うんだけど」
「そんな単純なことでいいの?」メイが目を丸くする。「なら、すぐにでもやりなさいよ。副作用ってのは何なのよ?」
「うん、隊長機は今より深くお兄ちゃんと繋がることになるから、思考内容も伝わっちゃう可能性が高いんだよね」
「思考内容?」けげんな顔をするレオナ。
「全部じゃないんだけど、とっさに浮かんだ考えとかね。特にお兄ちゃん自身にかかわる思考、たとえばお兄ちゃんをどう思ってるかとか、お兄ちゃんにどうしてほしいかとか、そういうのは全部筒抜けになっちゃうはず」
「「え゙」」
メイとレオナの表情が固まった。数秒間の静寂の後、目だけを動かしてお互いを見交わす。何かはわからないが、その瞬間に雄弁な情報交換がなされたのは、ドクターにも感じとれた。
「まあ、今のところはそれだけだから、あとは何度か試験プログラムを走らせて安全性を確かめたうえで、お兄ちゃんにも協力してもらえば……」
「わかったわ確かにそれは見過ごせない副作用のようね」メイが妙に早口でドクターの言葉を遮った。「別の方法を引き続き検討してちょうだい。別の方法を」
「急がなくてもいい。ことは司令官の身にもかかわることだ。時間がかかっても構わないから、慎重の上にも慎重にな」
レオナもなぜか微妙に目を泳がせながら早口で言う。
そうして二人はなぜか少し顔を赤らめて、そそくさと艦橋から出て行った。
「……どうしたんだろ、二人とも? あんなに急かしてたのに」
「さあ、どうしたのかしらね」
困ったように笑っているフォーチュン。ドクターはひたすら首をかしげるばかりだった。
その後なぜか、ブラックリバー組からの通信システム改善要求はぴたりと止んだ。ドクターとフォーチュンは引き続き、暇なときに通信システムをいじっているが、決定的な打開策は見つかっていない。
司令官は今日も、同じ型のバイオロイドは一機ずつだけという厳格なルールの下に編成された部隊を指揮して、鉄虫たちを駆逐している。
End
=====
「……それでね、アルマンさんがこれはトーストに合いそうですねって言った、まさにそのタイミングでちょうど社長がトーストを持って厨房に入ってきたの! もう、みんな大喜び! モモさんなんか目をハートにして、『惚れなおすってこういうことなんですね』とか言っちゃってね」
「焼きツナマヨというの、そんなに美味しいのか? 今度、私にも作ってくれ」
オルカの一室。大きなテーブルにお茶と、松餅と、分解されたチェーンソーの部品を広げて、ポックル大魔王と魔法少女マジカル白兎は話に花を咲かせていた。
先日のクリスマスパーティの際発見されたショッピングモール跡に、豊富なアクセサリショップがあるという報告があった。それを聞きつけた白兎が、愛用の武器マジカルピンクムーンライトを可愛く飾りつけたいと言い出し、そこはかとない不安を感じたポックルが同行を申し出たのが数日前。首尾よく様々なデコパーツを仕入れてきたものの、白兎が、
「長年使ってくたびれてきたし、せっかくだから飾り付ける前に久々に分解してちゃんとオーバーホールをしてやりたい」
というので、なりゆきでこうしてお茶会がてら付き合っている。
超電磁モーターのシャフトの歪みを点検するポックルの横で、チェーンソーのブレードを一枚一枚ていねいに目立てしていた白兎が、さもいいアイデアが閃いたという風にパッと顔を上げた。
「なあ、このブレードに一つ一つ、うさぎの顔をデコるのはどうだろう? こう、ここのところに顔を置いて、ブレードがうさぎの前歯に見えるようにするんだ」
「あー、えっと……ブ、ブレードは高速で回転するんだから、見えないんじゃないかな。それに、斬った時に壊れちゃったらもったいないよ」
「む、そうか……」
手伝っている目的の半分は、白兎のデコレーションがあらぬ方へ暴走するのを止めるためだ。
何しろ白兎の美的センスときたら、婉曲に言って非常に個性的な代物だ。共にオルカに合流してしばらくした頃、パンツ一枚に赤いフード付きケープという壮絶な出で立ちを「よりウサギの特徴を取り入れてみた」と得意満面で着てきた白兎を見て、ポックルはこの子は放っておいては駄目だと確信した。
かつての世界でも、今の世界でも、それなりに長い付き合いになるが、白兎にこんな一面があるとはついぞ知らなかった。あのありとあらゆる部分が足りていないマジカルポックルの衣装すら、彼女は曇りなき笑顔で「似合っている」と言い切ったのだ(まあ社長には「ある意味大いにアリ」と言ってもらえたので、あれはあれで気に入ってはいるのだが)。
「ジェントルマンは赤と紫のジュエル、どっちが好きかな?」
「うーん、どっちが好きっていうことはないと思うけど、白兎の衣装は紫だから、合わせた方がいいんじゃ?」
「なるほど、そうしよう」
白兎の面倒を見ることは、ポックル自身のリハビリにも役立っている。何度もポックルの命を奪いかけ、一時は見るだけで身がすくんでいたこのマジカルピンクムーンライトにも、こうして抵抗なく触れるようになった。
「そういえばこの間、女神アタランテに会った。あの方もジェントルマンに従っていたんだな」ヤスリを細かく動かしながら、白兎がふと言った。
「え? あ、うん、そうそう」
「銃士シャーロットも、プレスターヨアンナもいる。それどころか、鋼の守護者ランパリオンまで! 異なる世界を繋ぐゲートが開いたに違いない。マジカル英雄大戦で倒したはずの異次元魔神がまた現れたんだろうか。ポックルはどう思う?」
「あーいえ、えっと、そういうわけじゃないけど……でも、同じくらい恐ろしい、正体不明の敵が鉄虫の背後にいる、みたい?」
「そうだな……これだけの魔法少女と勇者が揃って、まだ悪を滅ぼせずにいるなんて信じられない。きっと、恐ろしく絶望的な戦いなのだろうな」
「うん……」
白兎は自分だけでなく、伝説の他のバイオロイド達の演目についても、劇ではなく本物だと信じている。アルマン枢機卿とばったり出くわした時は肝を冷やしたが、幸い彼女は空気を読んでアドリブで話を合わせることにかけては伝説でも指折りの名手なので、「ジェントルマンの人柄に触れて改心した」ということにして事なきを得た。
しかし現実認識が不完全でも、今の世界がどのような有様で、オルカがいかに困難な戦いをしているかということは、彼女も鋭敏に感じ取っている。もともと、勘の悪い子ではないのだ。そして、いかに絶望的な戦いであろうとも、それで心が折れるような子でもない。
モモは言っていた。伝説のバイオロイドにとって、この戦いは過酷ではあっても満ち足りた戦いだと。この戦いなら、自分たちはどこまでも胸を張って戦えると。
とうてい勝てないような敵。奇跡が起きなければつかめないような勝利。モモや白兎たちは何度失敗しても決して諦めず、そこへ手を伸ばし続けた。そうして数知れぬ犠牲の果てに、最後には必ずつかみ取ってきた。ポックルはそのことを誰よりも身にしみて知っている。
彼女たちは正義の意味を知っている。希望を捨てないことが、自分たちが正しいと心から信じられることが、人をどれだけ強くするか知っている。それが魔法少女だ。それが正義の味方だ。
ただの役者に過ぎない自分たちが、この果てない戦いに参加した意味がもしもあるのなら、それはそういう所なのかもしれないと、ポックルも時々考えるようになった。
「よし! 終わった」
白兎が満足げな声とともにヤスリを置いた。チェーンに植え込まれた数百本のブレードが、一つ残らずピカピカに光っている。やっぱりちょっと怖い。
「ありがとう、ポックル。組み立ては自分でやるから、一休みしてくれ」
「うん」お言葉に甘えてポックルはフィルターを掃除していたブラシを置き、手を拭いて松餅をつまむ。「これからもがんばろうね、白兎」
「もちろんだ。これでいっそうジェントルマンの力になれる」
鼻息荒く組み立てにかかる白兎。それを見守るポックルの笑顔は柔らかかった。
「ところでポックル、この前、夜にマジカルポックルに変身して歩いていたのは何だったんだ? ジェントルマンに呼ばれない限り立ち入り禁止とかいうエリアにいたな」
「えっ!? いや…それは…あの…えーっと……白兎も、そのうちわかるよ」
「?」
End
=====
おいしそうな匂いがただよってきたのに惹かれてフラフラと厨房へ入ると、そこには魔王がいた。
「あ……モモ…さん。どうも……」
床まで届くほど長いバサバサの(と見えるよう慎重に髪質をととのえた)髪。ゆたかに起伏する白い肢体を申しわけ程度に覆う、きわどい黒の戦闘コスチューム。
攻めた出で立ちに似合わぬ気弱げな笑顔で、大魔王ポックルはぺこりと会釈すると、抱えた皿ごと厨房のすみのテーブルの、さらにすみっこへそそくさと移動した。
「あー、夜のつまみ食いですか? 女優なのに、いーけないんだー」
おいしそうな匂いはその皿からしている。厨房の無断使用を咎められると思っていたのだろう。モモがにっと笑ってみせると、怯えをふくんだ表情がふっと緩んだ。
「い、今はもう公演とかないからいいんです。ちょっとお腹がすいて……あの、よかったら、一緒にどう…ですか?」
「えへへ、ぜひぜひです」
耐熱ガラス皿の中には黄金色の、少し焦げ目のついた、ふわふわした何か。大きなスプーンですくって口に入れると、モモの顔がぱっと輝いた。
「おいしーい! これ、ツナ缶?」
「はい。えっと……ツナ缶に、マヨネーズと玉ねぎを混ぜて、オーブンで焼いたんです」
焼けたマヨネーズの香ばしい油と酸味、ツナの肉汁、刻んだ玉ねぎの歯ごたえが、噛むたび口の中いっぱいに広がる。気がつくとモモは二匙目を口に運んでいた。
「んんー、罪の味……でもお料理できるんですね、ポックルさん。すごい」
「お料理っていうほどのものじゃないけど、これだけ知ってるんです……昔どこかで、誰かに教わったのを覚えてて」
「昔って、ソワンさんとかに?」
「いえその、もっとずっと昔に……あの、前の私が。アップデートの時に混ざって……そういうこと、ありません?」
「あ、あーあーあー…。ありますね」
バイオロイドが製造過程でプリインストールされる一般常識や基本的知識のデータセットは、定期的にアップデートされる。その更新用データは、すでに稼働している同型機の経験データをもとに作られることが多い。データ形式の親和性などからいって、それが一番効率がいいからだ。
もちろん雑多な個的経験などは除去され、精製されたコア情報だけが使われるわけだが、ごく稀に何かのはずみで特定の個体の記憶の断片が消えずにまぎれ込むことがある。そうしたものは、いわばある世代以降の同型機全員に共通の、おぼろげな思い出のようなものになる。
「白兎ちゃんとは最近どうですか? うまくやれてます?」
「はい!」ぱっとポックルの顔が明るくなる。「この間、二人でショッピングモール跡までお散歩したんですよ。マジカルピンクムーンライトを飾りつけたいからって、小物を探しに」
「あー、それはいいことですね。白兎ちゃん、あんなに可愛いのに服のセンスとかひどいですからね……」
「ドクターさんとスカディーさんが、記憶は残したまま現実認識だけを追加インストールする方法を探してくれてるんですけど、やっぱり難しいみたいで。でも、もう今のままの白兎でもいいかなって思ってます」
少し困ったように、ほんわかと笑ってみせるポックル。大魔王という恐ろしげな肩書きとは裏腹に、彼女にはこういう表情が本当によく似合う。争いを好まない、おとなしい人なのだ。
伝説サイエンスのバイオロイドの中でも「エンターヴィランズ」シリーズに所属する、いわゆる悪役のバイオロイドは、演じる役柄と素の自分自身とがはっきり分かれた子が多い。まあ邪悪な大魔王やら狡猾な枢機卿やらが、実際にその通りの性格だったら舞台にならないだろう。これでいざカメラが回ると、子供が泣き出すほど恐ろしげな魔王を見事に演じきるからすごい。
「でも、配給だけじゃなくて、バイオロイドが自由に使っていい分の食材があるなんて、すごいです。社長はいい方ですね」
「そうでしょーそうでしょー。自慢の司令官様ですよ!」
「ほんとに、オルカは夢みたいな所です。まるで『マジカル英雄大戦まつり』の時みたい……」
「英雄大戦まつり! 懐かしいなー…」
「マジカル英雄大戦まつり」とは、伝説サイエンスで何シーズンかに一度開催される大型イベントだ。イベント専用に用意されたより強大な敵が現れ、ヒロインとヴィランが善悪の垣根を越え手を組む、という展開がお決まりで、お互い殺し合っていた敵と味方の演者達が、この時だけは肩を並べ、共に戦うことができた。
いま、司令官の下にすべてのバイオロイドが一丸となって、世界を取り戻すために戦っている。そこには脚本の都合も、視聴率もない。本当は憎くもなんともないのに、誰かのために殺さなくてはいけない敵もいない。
戦い自体は過酷だ。だけどそれはどれだけ幸せな、満ち足りた戦いであることか。その幸せを本当の意味で味わえるのは自分たち伝説製のバイオロイドだけかもしれないと、モモは時々そんなふうに思うことがある。
焼きツナマヨを頬張りながら、うっすら涙さえにじませているポックルを見れば、彼女も同じように感じているのだろうと思えた。
「モモ、一度ポックルさんとこうしてゆっくりお話してみたかったんですよ」
「そ、そうなんですか、ありがとう」ポックルは照れたように髪をなでる。「でも、どうして?」
「どうしてでしょうね? モモも昔、どこかのモモがそんな風に思った記憶が残ってるのかも」
鉄虫が世界を侵食し始めてからは、伝説サイエンスも興行どころではなくなり、アリーナは幕を下ろした。モモやポックル、シャーロットなど主演級の役者達は、その戦闘能力を買われて鉄虫との戦争に動員され、軍事用バイオロイドにも劣らぬ活躍を見せたという。
もしかして、とモモは思う。滅びゆく世界で鉄虫と戦っていたモモやポックル達も、アリーナでお互いに殺し合っていた時よりは幸福だったのかもしれない。何の慰めにもならないけれど。
「あらあら、香ばしい匂いがするから何かと思えば、同僚のつまみ食いを見つけてしまいました」
「ぎゃっ、アルマンさん!」
「ぎゃっとは何ですか、品のない」
「アルマンさんもどうですか? ポックルさん秘伝のお夜食メニューですよー」
「こんな時間に、そんなカロリーの高いものを……」
言いながらもすすすと入ってくる赤いドレスのバイオロイドを、モモは朗らかに笑って迎える。
マジカルモモはいつだって人々の夢を背負って戦ってきた。だが背負う夢がこれほど優しく、気高く、暖かかったことはかつてなかった。
この夢があるかぎり、この仲間達がいるかぎり、モモはどこまでも戦える。そんな確信があった。
End
=====
「レプリコン2136より本隊。第8分隊は予定地点に到達。重傷1名、軽傷3名。戦闘続行は可能」
「ノーム803より本隊。鉄虫残党は予定ルートよりやや北寄りを逃走中。追撃の可否を求む」
次々に入ってくる報告を聞きながら、脳内に描き出された戦場マップにそのつど調整を加える。指揮官級バイオロイドの卓越した演算能力が、現実とほとんど変わらない精度で戦況を予測し、取れる選択肢に応じたあるべき未来を絞り込んでいく。選択肢が10個ほどまで減った時点で、不屈のマリーはその中の一つを選び出し……0.04秒後、それを捨ててまた別の一つを選んで、それを最終決定とした。
「深追いはするな。第8分隊はまもなく合流する増援の到着を待って再編成、逃走する鉄虫がエリアから離脱するまで監視。負傷者は帰還させよ。離脱の確認をもって戦況終了とする」
一呼吸おいて、通信モジュールへもう一言。
「我々の勝利だ」
わっという歓声が通信回線を満たす。鉄虫がエリアから完全に去るまで気を抜かないよう第8分隊に釘を刺してから、マリー自身も集中のモードを一段階下げる。残敵の確認と警戒に抜かりなく目を配る傍ら、精神の片隅で今日の戦闘の総括と内省をはじめる。
と、後ろから肩をたたかれた。
「お疲れ様、というやつだな」
すらりとした長身に栗色の髪をなびかせる、美しくも剽悍なバイオロイドが、代用コーヒーの入った紙コップをマリーの方に差し出していた。
「我々は一足先に帰投する。構わないな」
「ああ、後片付けはこちらでやる。……わざわざ挨拶に寄るとは、珍しいな?」
「帰る前にコーヒーを一杯飲みたかったんだ」
彼女――マリーと同じ指揮官級バイオロイド・迅速のカーンは、疲労のにじむ、しかし満足げな笑みをうすく浮かべて、紙コップの中身を一息にあおった。
カーン率いるアンガー・オブ・ホードは、マリー達の到着に先立って鉄虫の攪乱と足止めに昨晩から奮戦していた。人一倍タフな彼女が疲労を見せているということは、その部下達はヘトヘトに疲れ切っていることだろう。
「トレーラーを一台回すから使うがいい。ついでに負傷兵を連れ帰ってくれると助かる」
「そうさせてもらおう。……負傷兵か。ふふ」
「何か?」マリーも熱いコーヒーをすする。簡易野戦指揮キットにコーヒーメーカーを必備させたのは、彼女のささやかな贅沢だ。
「いや。我々は死ななくなったな、と考えていた」
「!」
マリーはコップから唇を離してカーンの方を見た。それは肩を叩かれる直前まで、まさに彼女自身が考えていたことだったからだ。
司令官を戴いてからというもの、鉄虫との戦いは連戦連勝だ。単純に戦闘命令を発してもらえるという利便性と、人間の主を得て士気が上がっているという精神的なメリットもあるが、それ以上に彼は確かな指揮能力を持っている。彼が戦略レベルで全体を統率してくれるおかげで、マリーやカーンら指揮官級ユニットは前線指揮に専念でき、そのことがまた戦闘効率を高めている。劇的に、という言葉でもまだ足りないくらいに、戦いは様変わりした。
それ自体は大いに喜ぶべきことだ。ただ一人生き残った人類が彼のような男性であったという僥倖には感謝しかない。しかしマリーは彼の指揮下で戦う時、未だにわずかな戸惑いと違和感を拭いきれずにいた。
「閣下は兵士の死を好まない。あと一手、一割の損耗を覚悟すれば完全な勝利を手にできるという時、閣下は決して駒を進めない」
「不満か?」
「不満ではない。ただ……慣れない」
かつてマリーが戦っていた世界では、それはほとんどありうべからざる思考だった。マリーが仕えていた人間の将校達は、一割どころか五割、十割の損耗さえ勝利のためなら平然と許容したものだ。バイオロイドとはそういうもので(加えて言うならブラウニーもそういう奴だった)、マリーはそれを当然の前提として経験を積み、戦術を磨いてきた。もちろん彼女自身としては部下を死なせたくないと願っていたが、その願いは主人の命令と天秤にかけられるようなものではなかった。
人類が姿を消し、鉄虫とバイオロイドだけの戦いになってからは、マリーは自分自身の理念に従って兵達を指揮することができた。そのかわり、戦況ははるかに厳しくなり、それまでとは別の意味で、犠牲を前提としない戦いなどはできなくなった。
「私は生み出されて以来ずっと、百年以上もの間、それを当然のこととして戦ってきた。私ほど多くの味方を死なせたバイオロイドは誰もいまい。今になって、突然そうしなくてもいいと言われると……何というか、混乱する。咄嗟の時に対応が遅れることがある。今日も何度か、そういうことがあった」
「それで勝った上に戦死者もいないのだから、立派なものさ」カーンはあっけらかんと笑う。「第一、人間の気まぐれな命令に振り回されることなど慣れっこだろう。特に私やお前はな」
「……閣下のご意志を、気まぐれなどと呼びたくはない」
「なんだ。結局気に入っているんじゃないか」
知らず不機嫌な顔になったマリーを見て、カーンはまた笑った。
実際、司令官をどう思えばいいのか、マリーの中ではいまだに定まりきっていない。それが問題なのだ。
ただ一人の主人であり、優秀な指揮官だ。マリーがどれだけ願っても手が届かなかった理想を実現してくれた人物でもあり、そしてそれだけに、自分がこれまで歩んできた道をすべて否定されてしまったような、そんな気分にさせられる相手でもある。すべてを差し出して仕えたくもある。すべてをぶちまけて怒鳴りたくもある。
「閣下はまるで……そう、まるで、我々の命が人命と同じであると考えているように見える」
そんなはずはないのに。自分に言い聞かせるようにマリーは言って、最後のコーヒーを飲み干した。
「ま、あまり考えすぎるな」
カーンは空になった紙コップを放り投げた。それは正確な放物線を描いて、ディスポーザーに吸い込まれていく。難しいことではない。初歩的な弾道プログラムを入れているバイオロイドなら誰でもできる。
「代用コーヒーの味も随分よくなった。物事は良い方に変わることもあるものさ」
「……そうだな」
苦笑して手を振ると、カーンは長身をひらりと翻して去っていった。マリーはその背中を見送ると、通信回線に意識を戻す。その眼差しからはもう、迷いや悩みはきれいにぬぐい去られていた。
マリーが司令官に抱く感情がはっきりと定まるのはもう少し先のこと。
生体再建ポッドに入った司令官が、華奢ながら引き締まった肢体をもつ十代前半の少年の姿で出てきた時であった。
End
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キルケー? キルケー、起きてるか?
まだ戻ってこれないか……そんなに枕を噛んだままでは破けてしまうぞ。
尻の力も少し抜け。ほら、ちょっとくらい漏らしても構わないから。
少しやり過ぎたかな。ラビアタやアリスだったらもう二セットか三セットでようやく失神なんだが、ちょっとオルカ基準に慣れすぎて感覚がズレてきてるかもしれないな。
夢うつつでも構わないから、聞いてくれ。
ハロウィンパークの件だが……アルマンの懸念は、間違いではない。
今回ほど、記憶がなくてよかったと思ったことはないよ。
俺が旧人類の悪性と、少なくともその一部と無縁でいられるのは、単に「そういうものに触れた経験がないから」という、幸運の結果にすぎない。決して、俺が旧人類よりも善い人間だからじゃない。
俺がかつての時代に生きて、その常識の中で暮らしていたら、他の連中と同じようなことをしていたかもしれん。逆にそういう連中だって、今の俺のような状況に置かれれば、自分たちがどれほど異常で残酷なことをしていたか、誰だって気づいて目が覚めるのかもしれん。
つまりな、何が言いたいかというと……俺をあまり、持ち上げないでくれ。それと、旧人類を、あまり嫌わないでやってほしいんだよ。
「……私は、かつてのお客様方を嫌ってなどいませんよ?」
起きてたの!?
「それに、司令官様が敬うに値しない方だとも思っていません。たとえどんな時代に生まれていようと、あなたは優しい心と、強い意志を持つお方だったはずです……」
キルケー……
「もちろん、たくましいコレも……」
キルケー?
「……悲しい思いも沢山しましたが、それは私の背負った役目。誰かを恨む気持ちなどありません。今こうしていられるのですから、私は幸せです。
ですから…………私を何度もいじめたコレで、私をもっともっと、幸せにしてくださいね? 司令官様?」
…………任せておけ。
ここからはノンストップで行くからな。今のうちに水分補給を忘れるなよ。